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備忘録/ Memorandum

【お正月に日本へ】

*画像は拡大できます。
2017年の大晦日ひとりで日本に帰国しました。機内でスペイン時間の新年の挨拶があり、子供の頃は年が変わることにもっとわくわくしたと思うのですが、今やいつもと同じ1日の流れに感じる自分です。成田空港から東京駅へ移動するとかつて毎日通勤に利用していた駅がすっかり綺麗になっていました。外国人や旅行客も多く、日差しもやわらかく、富士山も機内で眺めることができ、お正月!を期待して来たのですがそんな気配はそこにはなくて...。重い荷物を引きずりながら、そのまま妹の家へ。中央線でお堀界隈を通り抜け、妹の家に合流した母や家族と2年半ぶりの団欒でした。
家人は残ってやることもあったので私ひとり心置きなく帰国しようと思っていましたが、とあるスペイン的な事情により、中途半端な気持ちで帰国となったのですが、喉元過ぎればなんとやら、で、日本で過ごすうちにその気持ちはだんだん薄れていきました。
在外邦人で1年に1度は帰国する、という方は大概仕事を持っていて、金銭面で安定して帰ることができるのだと思います。5,6年帰らない、もしくはもう10年以上行っていない、というベテラン現地在住者もいるので私の2年半ぶりがどうなのかはさておき、今回の帰国で感じたのは状況が許すのであれば、行かれるときに行っておくのが最善ということに尽きる、でした。まだ若い方はともかく、私のように中年と呼ばれる世代に突入している者からすると、家族を取り巻く問題みたいなものが結構深刻になりつつ、家族と直接会って会話をすることはメールや電話とはまた違ったことなのだ、と改めて感じました。


  
  
 
英語もスペイン語も不自由な私には言語や文字が、実は在外生活に大きな日本全体の飢えのようなもののウエイトを占めていたことに最初は気がつきませんでした。帰りたいという気持ちが全く湧き上がって来なかったり、ロマネスクを見に行く旅に夢中になっていたせいもあります。今はインターネットもあるし、Kindleで電子書籍を買うことも出来ますが、やはり実際日本にいるのといないのとでは日本語の情報量の差はあって当然です。いつの間にか、映画を見るのも、何か情報を得るのも外国語からが当然になっていましたが、情けないことではありますが、理解も浅く、帰国前はとにかく日本で小屋裏に預けている本をできるだけたくさん読もう、と楽しみにしていました。今手元に本がないので、うろ覚えではあるのですが、作家の村上春樹氏が確かエッセーで書いていたこと:僕は基本的には日本語でものを考え、日本語で小説を書くので、ある時期から日本に腰を据えて小説を書いていこうと思った、というようなことです。ある時期というのは、阪神大震災とその後に起こった地下鉄サリン事件のことだと記憶しているのですが、私も似たようなことを今回の一時帰国で痛感しました。語学を上達させることは私にとって重要なことでもあります。日本語より英語の情報量の方が圧倒的に多いのもよくわかります。独学で学習してきたスペイン語もなかなか面白いな、という気持ちにやっとなりつつありました。夫の任務がそのうち終わるだろう(こんなに長引くとはお互いに思っていなかった)とか、夫との会話は日本語で済むので苦労はなく過ごせていました。が、私は彼のように多言語を使いこなせる人ではありません。然るべきタイミングで自国に戻り、村上春樹氏の表現を借りるならば、ねじを巻く必要があるのだ、ということでした。環境を日本に移して考え、過ごして自分を調整するみたいなことです。
そして当然の事ながら月日が経つということは自分も周りも歳をとるという事。親の事も心配になり、小さかった姪たちがInstagramで大騒ぎしているのを見て、もう少し彼女たちとの時間を持てたらよかったな、と少し残念な気持ちにもなったのも今回の教訓です。あとは食事とお風呂が本当に重要ですね!