スペイン

スペイン人について考えた

 

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4月上旬。ジャカランダの紫の花が咲く季節。遊歩道が続くこの通り誰にもすれ違わずに買い物へ。

 

世界の人々が日常生活でマスクを着用するようになり数ヶ月。未だにこの光景をなんとも言えない気持ちで眺める時があります。それにしても凄い世界になってしまった。

義務となった国や特定の地域で、マスク無しの人の多さたるや!という声を聞きますが、ここの住人は比較的真面目にマスクを着けて外出しているんじゃないかと思っています。着けていない人の方がむしろ少ないような?真夏は手に持っている人もいましたが、N型の高級マスクを着けている人も結構います。それらを何回使いまわしているかはさておき…

ロックダウンのアナウンスがあった3月、通常営業最終日の土曜。近所を歩いていると散髪屋の若者が黒のマスク姿で表を見ながら立っていました(店の人ってよく入り口で意味もなく立っている)。しょっちゅう口元のマスクを触りながら。慣れないせいもあるのでしょうが、なんとなく嬉しそう。

フランスの家族や友達は周囲がいかにマスクをしないかをよく怒りあらわに伝えてきます。マスクを着けない乗客を注意したバスの運転手が殺された事件もありました。

兼ねてから、私が感じるスペイン人について書こうと思っていたのですが、あらかた書いてしまってからそのぼんやりとした内容に嫌気がさしました。その時のことを記録しておきたいだけのほぼ独り言なので、誤魔化さずに書こうと思い書き直し。

以前にも書いたかもしれませんが、スペインに来ることになったのは何と言うか、たまたま(という表現が一番しっくりするような)でした。希望したり、自ら選んで、ではなかったことにも起因すると思うのですが、未だこの国に纏わる様々なことに心持っていかれる(というと大げさですが)ような、感心したり、好奇心を持ったり、ということが自分の中で殆ど無い…と感じながら暮らしています。せっかくの機会なのに残念です。でもやっぱり私には強く惹かれる何かが無いのです。結婚でスペイン人家族がいる人々はもっと見方が違うと思うのですが、私なりに感じていることを書いてみようと思います。

 

 

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学校帰りの子供達。中学生?右はミロの彫刻。

 

最初に触れたマスクに絡めて思うに、スペイン人は制服の類や人と同じ格好をすることにそれほど抵抗がないのではないか、と感じます。子供の制服も日本のように一般的(洋服を頻繁に変えられない子供のいじめ防止が採用される理由になった、と聞いたことがありました)なこと、一目でどことわかるスペインのファッションブランドも躊躇なく着ている女性が多いです。マスクに抵抗はあったでしょうが、人から抑制されることを嫌うフランス人ほどではないだろう、と想像しています。余談ですが、国旗モチーフの洋服やマスクも躊躇がない。日本だと右の人に見られる可能性がありそう。そういえば現アメリカ大統領も国旗モチーフマスクしていたかもしれません(笑)。

鮭が川に戻ってくるように、スペイン人は国外に出ても、帰ってくる人が多いように思います。アカデミアの人でも意外と海外経験が短い。もちろん出て行ったままの知人もいますが、スペインはスペイン語話者の多さもあって、一般的な仕事でも中南米が大きなマーケットであるのも国に戻れる理由の一つかもしれません。自国が本当に大好きな人が多いと思います。

アカデミアのスペイン人。国外に出て経験値を上げなければならないという焦燥感が当然あるよう。論文やスピーチは英語なので、語学の問題ではない。大多数の人は次のポジションを陸続きの欧州内で探します。国は違っても似通った文化、家族に会うにも簡単に行き来出来ます。ラテンの国は家族行事に非常に重きを置きますが、早くからライシテ(政教分離)を掲げてきたフランス、国の優秀な人が見事なくらい大量に国外流出しているイタリア、どちらとも違った重きがありそうなのがスペインの国民性でもあるように感じられます。

スペイン人が経験として国を出るべきなのだ、と考えていることは実際に複数の人から聞いたことです。そしてそのうちの誰が出たか、というと殆ど出ていない…。私の数少ない外国人コミュニケーションで、アジアを知っているか、否か、もっと具体的には、中国、日本を含んだアジアを知っているか、ということは、突っ込んだ内容の話になった時、話題の展開に大きな差が出るように感じます。フランス人だったらベトナムか、スペイン人でもタイに行ったことがある人は結構いると思うのですが、それらの国と中国、日本はまた全然別の文化だと思うのです。

 

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国旗入りマスク(写真が今ひとつでゴメンなさい

 

スペインは昨今の独立運動でもわかるように未だまとまらない国だなということも強く感じます。そして言葉についても面白い一面があります。スペインはいわゆるcastellano、スペイン語の他に地方公用語なる言葉があります。代表的なのがカタルーニャ語(バルセロナ方面)。カタルーニャでは若者も普通に、むしろ声高にカタランを話すのですが、ガリシア(北西部)は滑舌も悪く、小声でボソボソ話す人が多い。僕はちゃんとしたスペイン語すら話せないからさ、と自虐的なことを言っていた男性が夫の研究所にいました。アストゥリアス出身だと聞き、メンタリティに差がありすぎるのでは?と思って聞いていました。彼はこの度北米に進路が決まったそうですが(ずっと逡巡していたよう)この度の災いで渡航ができないとのこと。気持ちと運が巡ってきたのになんとも残念。

物足りなさを感じてしまうのは否めないですが、暮らしやすいかと聞かれれば、答えはもちろん「はい」です。もし他の国に行くことになれば、ここにいたことのありがたさを強く感じるだろうな、と思うまでになってしまいました。何その矛盾?ですが、それも一重にスペイン人の人柄です。ヨーロッパの飛行機の乗り換えで、スペイン行きの群に辿り着いた時の安心感(なぜか既に並んでいたり)搭乗しながら独特の顔を見た時の(険しくない感じ)嬉しさは何なのか。まだ50年にもならない最近まで独裁者がいた国。今年8月の前国王の亡命(逃亡だよね…)もあったり、政治もドタバタのようですが、この国も伸びしろはたくさんあると思うのですが、どうも上手く活かせていない気がします。また少し時間が経過したら違った一面について書くことができるといいな。一つの結論。食べ物かも…と思っています(笑)。

余談:投稿の頻度をもう少し高めようと思っています。短い、軽い文章も寄せていくつもりです。私自身がもっと日々を振り返りたいという思いもありまして…どうぞよろしくお願いします。